お寺のご案内 天桂山 廣濟寺について
廣濟寺について 歴史・沿革
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廣濟寺の創建と歴史
応永元年(1394年)広島県聖光寺(この寺院は過年の原爆により焼失)の開山、悦堂常喜大和尚の弟子である天真大用大和尚が、足利義教公に随行し、この地(桂村)にいたり当寺を開く。
嘗ては門葉72ヵ寺を有し(現在は門末10ヵ寺)、塔頭「東陽軒」あり。その後、清須城城主織田大和守敏定は自筆の偏額を掲げ、寺領地を寄進する。
織田家の勘十郎達成・信長・信雄代々寺領地を寄進し、その証文を伝えた。 -
廣濟寺の試練と復興
時移り、天正10年(1582年)5月、蟹江合戦の折、前田友十郎ここに陣を敷き、竹林・末寺・塔頭を悉く崩取し城埋めと薪としてしまった。
また、天正17年の太閤検地により、時の奉行岡田備中守、寺領8町4反を没収するも、証文と書状を掲示して難を逃れた。
當寺は曹洞宗において片法幢会地としてつねに宗門の僧侶を養成する道場であり、愛知県下屈指の古刹であったので、明治23年(1890年)内務省により古代建築物保存金を下附せられた。この折の県制札は先年の伊勢湾台風にて喪失し現在にいたる。
現在の廣濟寺は、昭和24年(1949年)の自作農創設令により2町8反を開放し、寺領約3,000坪を有し、昭和57年(1982年)庫裡の新築、山門・書院・水屋の改修をなし、平成に入り本堂の瓦ふき替え、開山堂・書院の新築をなし、令和2年鐘楼堂を改修し今日にいたっている。 -
廣濟寺の文化財
廣濟寺には、あま市指定有形文化財の雲版があります。当寺十七世越山元寿により奉納された雲版で、宝暦十一年(1761年)の作。作者は尾張藩鋳物師の一人である水野平蔵(姫達)で、雲版にその名が刻まれています。肩部、腰部に割込みながらも円形の均整が保たれた逸品で、平成十二年(2000年)有形文化財に指定されました。中央やや下方に蓮の花を擁し、その花を取り囲むよう雲の隙間から顔を出す龍が 鋳出されています。 -
永代供養墓【やすらぎの塔】と樹木葬
廣濟寺では、永代供養墓「やすらぎの塔」と共に樹木葬も提供しています。これにより、檀信徒以外の方でもお申し込みが可能です。寺院が責任を持って管理し、ご供養を行いますので、安心してご利用ください。
廣濟寺では、その他にも墓地分譲や納骨堂のご相談を承っております。ご家族や個人のご事情に合わせて最適な供養の形をご提案いたします。墓地や納骨堂の選び方、手続きについても詳しくご説明いたしますので、どうぞお気軽にご相談ください。皆様の大切な故人を安心してお預けいただける場所として、全力でサポートいたします。
ご挨拶 住職紹介
当寺ホームページをご覧いただきありがとうございます。
天桂山廣濟寺をお預かりしております、住職の村上 宜永(ぎえい)です。
天桂山廣濟寺は1394年(応永元年)に開創以来600余年、多くの方々のご縁をいただきながら曹洞宗の禅寺として脈々と法灯を守ってまいりました。これからも古きを慕いつつ、今の「時代」と「人」に合った形で末永く寺院が継続するよう誠心誠意精進してまいります。
諸人を廣(ひろ)く濟(すく)うと書いて廣濟寺です。御仏の教え・禅の生き方を通して檀信徒の方々のみならず、ご縁を結びしすべての皆様の心の拠り所となるお寺を目指してまいります。どなた様でも参拝できますので、どうぞお気軽にお越しください。
曹洞宗 天桂山廣濟寺
第三十三世住職 村上 宜永
天桂山廣濟寺をお預かりしております、住職の村上 宜永(ぎえい)です。
天桂山廣濟寺は1394年(応永元年)に開創以来600余年、多くの方々のご縁をいただきながら曹洞宗の禅寺として脈々と法灯を守ってまいりました。これからも古きを慕いつつ、今の「時代」と「人」に合った形で末永く寺院が継続するよう誠心誠意精進してまいります。
諸人を廣(ひろ)く濟(すく)うと書いて廣濟寺です。御仏の教え・禅の生き方を通して檀信徒の方々のみならず、ご縁を結びしすべての皆様の心の拠り所となるお寺を目指してまいります。どなた様でも参拝できますので、どうぞお気軽にお越しください。
曹洞宗 天桂山廣濟寺
第三十三世住職 村上 宜永
寺院概要
アクセス
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寺院名称天桂山 廣濟寺
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寺院フリガナテンケイザン コウサイジ
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所在地
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TEL052-444-2277
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FAX052-442-2244
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Eメールkousaigiei@gmail.com
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最寄駅名鉄バス津島線「七宝町桂前」下車徒歩約5分
各線「名古屋駅」から車で約20分